美への哲学と、仕事へ向かうストイックな姿勢
CUEの近くであり、北堀江にお店を構える美容室『Eurica』(ユーリカ)。当施設オープン時から会員として利用してくださっている代表の松根さんに、人生における哲学や、仕事への想いをお伺いしました。ぜひご一読ください。
ー美容師になるまでのキャリアを教えてください。
元々はプロボクサーになりたくて、高校生の頃は辰吉丈一郎も通っていた大阪帝拳ジムに通っていました。結構本気でプロボクサーになりたい!と日々練習していたのですが、2年ほどして自身の才能の限界を感じて、将来ボクシングで食べていくのは難しいと考えていた頃、ビューティフルライフというドラマを観て、美容師になろうと進路転換しました。同世代の美容師はみんな観ていたドラマなのですが(笑)
「グラムール専門学校」という美容学校を卒業した後、現「株式会社レスイズモア」へ入社し、美容室「LIM hair」で10年間勤務しました。当時あった社内独立制度で、新店舗をオープンさせてもらい5年間店長として働きました。そのまま同店を自身の店舗として譲り受け、現在の株式会社Euricaの設立に至りました。
ー専門学校卒業後に入られた会社で見えた美容業界の印象はどうでしたか。
実はめちゃくちゃハードな世界をイメージして飛び込んだので、思ったよりは大変ではありませんでした。寝る時間もない、撮影や研修で休みもない、というイメージを持っていたので、実際には夜12時には帰れるし、休みもたまにあるし、みたいな。
ー新しい道に進む時、安易に考えてしまう方もいますが、松根さんはあえて厳しく考え飛び込んだのですね。自身の考え方はどこからきたのでしょうか?
高校生の頃に習っていたボクシングの影響ですかね。ボクシングを始める時も「せっかくするなら厳しくても大阪で一番強いところ」という思いで辰吉さんの通うジムに行きましたし、就職活動も「これから一番伸びそうなお店」と考えて選びました。無理してでも厳しいところに身を置く方が自分が成長する、というのがベースにありますね。
ーその後レスイズモアに入社されましたよね。どんな会社だったのでしょうか?
先ほどもお話ししたように「これから伸びそうな会社」に入りたくて、レスイズモアに入社しました。入ってみて感じたのは、会社の理念がしっかりしていた事。特に社長の考え方や哲学に大きな指針をもらった気がします。
人として「紳士淑女であれ」という社則のようなものがあり、人自体が素敵じゃないとダメ、という考えの方でした。物事を決める時には良いか悪いかというよりも「考え方が美しいか」で決める。判断基準が綺麗だと思いました。
それでいてチャレンジャーでもあり、最終的には僕たち部下にも任せてくれる。また、例えば女性社員からの自発的な「こうしたい、ああしたい」という意見が多ければ、業界では珍しい女性だけの美容室を作ったり、様々なニーズにも敏感に応える度量がある。そういった懐の深さに憧れて、社長の感覚が社員たちにも根付いていき、皆が躍動して組織が大きくなっていったんじゃないかと思います。
今の自分の判断基準も、同じく「理由が美しいかどうか」。儲けたいとか流行っているとかではなく、理由がきちんと人に向いているかという事が重要だと思っています。
ー社長以外に、人生で影響を受けたメンターのような方はいますか。
社長よりも近かったのは、当時会社のNo.2 の方で、近かった分大きな影響を受けました。海外事業もその方が全て担当されていましたし、見た目はいかつい人なんですけど、絶対にびびらないし、腹の括り方がすごいというか。美容師としても有名な方でしたし、その方と一緒に働かせてもらう時間が長かったので。社長とはまたキャラクターが全然違って。
社長は物静かで、文化的というか哲学的な方。No.2の方はいかつくて体育会系の方(笑)そんな二人が同じ場所にいるというのが会社の成長にも繋がったのかもしれないですね。
ー当時(平成24年)、商社や他のビジネス業界で、少しずつ社内独立という制度が広がり始めた頃ですよね。美容業界では珍しかったのでしょうか。
珍しかったと思います。美容師が増えた世代で、能力のある人はどんどん独立し始めていました。スタッフ数人とお客さんを引き連れてこっそり独立する、というような人が多く、独立後は以前所属したお店には顔合わせできない、というパターンが多かったと思います。そこでも社長の「気持ちの良くないことはやめよう」という感覚から、社内独立という制度が出来たんだと思います。
社内独立制度を利用したい!という社員がいたら、会社がお金を借りてくれてお店を作り、さらに5年というしばりがあって、借りたお金とロイヤリティを5年で払い切ればお店の権利を譲渡してくれる。もちろん、誰でも社内独立制度を使えるわけではなく、ある程度の数字を作れる美容師しか使えない制度でした。会社としてもしっかり制度運用されていますよね。
会社側としては普通にお店を増やしてもお金は借りるし、能力のある人材がさらに5年間会社にいてくれる。退社するときもお互いが気持ちよく、どちらにとっても良い制度でした。後輩にも次のステージというイメージを見せられたと思います。
ー独立してみて、意識の変化はありましたか。
さほどなかったですね。社内独立制度を使わせて頂いて、5年間自身で試運転出来たことが大きかったと思います。
ただ完全独立となると、最終判断が自分になってくるとか、昔はスタッフに厳しかったけど、あまり厳しすぎてもダメだとか、変化はそれくらいですかね。会社に所属していた頃に出来ていたスタッフ同士の役割分担が、自分のお店となるとマネジメントまで全部しなければいけませんよね。
ーWebショップを作ったり、業態の違うものに新しくチャレンジされていますよね?
そうなんです。ただどれも美の横展開、というか。スタッフ発案のものも多いです。
例えばアパレルのWebショップは、美容院を運営する中では撮影が多く、衣装が必要になります。リースしたり、スタッフの服を借りたり、と結局経費が掛かるから、それなら買い付けて1つは衣装にする、残りは売ればいいんじゃないか、と考えた事がスタートです。それならプラスになるよねと。必要なものをビジネスにしたという感じです。あとは買い付けで海外に行けるので、世界も広がりますし、スタッフにも良い影響が出ますよね。
ーこれからの展望はありますか。
規模としては、スタッフ40人くらいのサイズ感のお店を運営したいです。前職の店長時代はそれくらいの規模だったので運営するイメージができるし、独立したからにはそこまではしないといけないかなと。ただ、お客さんが増えたからお店を大きくするというような普通の事をしていても、僕自身面白くないと思ってしまうので。洋服販売を取り入れたりだとか、美容師の働き方も変えていこうかなと考えています。
例えばひと月のうち3週間は予約を詰め込んで大阪で働いて、残りの1週間は違う土地で違うお客様と触れ合う。その方が新しい価値観も生まれるし、仕事自体の面白みも凝縮できるんじゃないかと思って、今京都の物件を探したりしています。美容室として使う1週間以外はイベントで使ったり、ギャラリーにしたりとか。そういった他のコンテンツがあってこそ、魅力ある美容師を育てるというメインの目的が、より輝いてくるんじゃないかなと思います。
ー美容室は「魅力的な美容師を育てる」という事がとても重要だと思いますが、マネジメントにおいて心掛けていることや、理念などはありますか。
やっぱり前職で学んだ自分の判断基準にもなっている、何か物事を起こすきっかけや理由が「美しい」かどうか。理由がきちんと人に向いているか。あとは「勝つまでやる」「よかったと思うまで勝負する」という、仕事に対する真摯な姿勢は大切にしていますね。
ー松根さんにとってのCUEとは、また今後CUEに求めることはありますか。
僕は朝に利用していますが、早めに出勤してカフェスタッフさんと話したり、ボーっと考え事をしたり、何か面白いことがないかなー…とイメージしたり。家に6歳の子どもがいるので、喧騒から離れて無になる、というような時間を過ごしています。
お店からも近いので、今後はお客様とのイベントスペースとして利用できたり、ラフなパーティーなどができれば嬉しいですね。
ー松根さんが思う堀江の良いところを教えていただけますか。
前職の店長時代もお店が堀江公園の近くだったので、もう堀江には長く居ますが、良いところといえば、ストリートな部分ですね。路面店が多く、街をふらっと歩いてお店に入る、というような場所は大阪には少ないんじゃないかと思います。逆に言えば、堀江という街自体に集客力は少なく、ただお店を出したからといってお客さんが集まるというわけではない。やっぱり個の発信力がないと、生き残れない場所でもあるということは感じます。お店を出される方は多いですけど、長く続けていくのは難しいですね。
ーそれでも堀江という場所の居心地が良いんですね。
そうですね。やっぱり僕自身が堀江のストリートな部分が肌に合う、というか好きなんでしょうね。後、美容室としてはリクルーティングの部分もありますね。僕は人材が一番大事だと思っているので。堀江で働きたいという学生が結構いて、働く場を作りたい、という想いからも堀江でお店を構えています。心斎橋の雑居ビルや新町にお店があるのとは全然違う。「堀江で働きたい」という高い意識を持った人と一緒に仕事をしたいし、そういう人に堀江に集まってもらいたいですね。
ー本日は貴重なお話し有難うございました!
松根 宏